大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成8年(行ウ)146号 判決 1997年10月29日

原告

乙野花子

右訴訟代理人弁護士

斎藤浩

阪田健夫

竹下育男

右坂田弁護士訴訟復代理人弁護士

豊島達哉

被告

S市教育委員会

右代表者委員長

耳野皓三

右訴訟代理人弁護士

福岡勇

主文

一  被告が原告に対して平成八年七月二六日付けでした原告の被保護者である甲が同日以降就学すべき中学校をB中学校と指定した処分を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同じ。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えを却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案の答弁

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、甲(昭和五七年一〇月二〇日生まれの女子、以下「甲」という。)の母であり、学校教育法(以下「法」という。)二二条一項にいう保護者である。

2  甲は、平成八年四月一〇日から法七一条に規定する養護学校である大阪府立A養護学校(以下「A養護学校」という。)C病院内学級(中学部・第二学年)に在籍していた。

3  被告は、平成八年七月二六日ころ、学校教育法施行令(以下「施行令」という。)に基づき、甲は養護学校における教育の対象となる「病弱者」(法七一条、七一条の二、施行令二二条の三)に該当しなくなったとして、原告に対し、甲の同日以降就学すべき中学校をB中学校と指定する処分(以下「本件処分」という。)をし、その旨通知した。

4  しかし、甲が病弱者でなくなったとはいえず、また、被告は施行令六条の二第一項の通知がないのに本件処分をしたもので、いずれにしても本件処分は違法である。

5  よって、原告は、被告に対し、本件処分の取消しを求める。

二  被告の本案前の主張

1  甲は、少なくとも現時点では法七一条、七一条の二、施行令二二条の三の表に定める病弱者に該当しない。

2  したがって、仮に本件処分が取消されても、A養護学校長及び大阪府教育委員会(以下「府教委」という。)は、新たに施行令六条の二所定の通知を行い、右通知を受けた被告も、施行令六条、五条一項に基づき、新たに原告に対し、甲について一般の学校に就学すべき旨の通知を行うことになる。よって、本件訴えは現時点においては訴えの利益を欠く。

三  被告の本案前の主張に対する原告の反論

1  被告の本案前の主張1の事実は否認する。甲は、現在においても病弱者でなくなってはいない。

2  同2の主張は争う。仮に、現在甲が病弱者でないとしても、原告は、本件処分の取消しを得られなければ、府教委から、本件処分時以後の期間分の盲学校、聾学校及び養護学校への就学奨励に関する法律二条、同法施行令一条に定める学校給食費、通学及び帰省に要する交通費及び学校附設の寄宿舎居住に伴う経費等(以下「就学奨励費」という。)の支給を得られない。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4は争う。

五  抗弁

1  甲は、平成七年四月からB中学校に就学していたが、てんかんの治療のため、平成八年四月八日国立C病院(以下「C病院」という。)に入院した。

2  右入院に際して、被告は、施行令一二条二項、一一条に基づき、府教委に対し、甲について、病弱者である旨の通知をし、これを受けて府教委は、同月九日付けで、施行令一四条に基づき、原告に対し、同月一〇日以降甲が就学すべき学校をA養護学校と指定する通知をした。

3  甲は、C病院における入院治療の結果、てんかんの病状が改善し、遅くとも平成八年七月二六日までには病弱者に該当しなくなった。

4  そこで、A養護学校長は、施行令六条の二第一項に基づき、府教委に対し、甲が病弱者でなくなった旨の通知をし、府教委は、同条二項に基づき、被告に対し、その旨通知した。

5  被告は、法三九条三項、二二条二項、施行令六条、五条一項に基づき、本件処分をし、原告に通知した。

6  仮に、本件処分時において甲が病弱者に該当しなくなったとはいえないとしても、前記二のとおり現時点において甲は病弱者に該当しない。したがって、本件処分の瑕疵は治癒された。

7  以上のとおり、いずれにしても、本件処分には取消事由はない。

六  抗弁に対する認否・反論

1  抗弁1、2の事実は認める。

2  同3の事実は否認する。甲は、本件処分時においても現在においても病弱者である。

3  同4の事実のうち、A養護学校長が府教委に対し、甲が病弱者でなくなった旨の通知をしたことは否認し、その余は認める。A養護学校長は、平成八年七月一七日付けで府教委に対し、「入院を必要としなくなるもの(令第6条の2の予定者)について」と題する文書により、甲が同月一九日にC病院を退院する予定である旨を報告したに過ぎない。

4  同5の事実は認める。

5  同6の事実は否認し、主張は争う。

第三  証拠

本件訴訟記録中の「書証目録」及び「証人等目録」記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし3の事実、抗弁1、2、5の事実及び同4の事実のうち府教委が施行令六条の二第二項に基づき甲が病弱者でなくなった旨の通知を被告にした事実、以上は当事者間に争いがない。

二 被告の本案前の主張については、後記判断のとおり、甲は現時点においても病弱者でなくなったといえるかどうか必ずしも明らかではないし、少なくとも、原告は、本件処分時に本件処分が違法であるとしてその取消判決を得られなければ、本件処分時以後の期間について、盲学校、聾学校及び養護学校への就学奨励に関する法律二条、同法施行令一条に定める就学奨励費の支給を受ける権利を失うことになるから(なお、原告が、本件処分時以後、就学奨励費の支給を受けているとしても、それは、当裁判所の平成八年一一月一二日の執行停止決定による仮の状態に過ぎない。)、いずれにしても失当であって採用できない。

三  法においては、養護学校は、精神薄弱者、肢体不自由者若しくは病弱者(身体虚弱者を含む。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施し、あわせてその欠陥を補うために、必要な知識技能を授けることを目的とする(七一条)、精神薄弱者、肢体不自由者若しくは病弱者の心身の故障の程度は、政令でこれを定める(七一条の二)とされ、これを受けて、施行令二二条の三の表において、「病弱者」とは、その心身の故障の程度が「慢性の胸部疾患、心臓疾患、腎臓疾患等の状態が六月以上の医療又は生活規制を必要とする程度のもの」、又は「身体虚弱の状態が六月以上の生活規制を必要とする程度のもの」をいうものとされている。

また、法においては、保護者は子女が小学校の課程を終了した日の翌日以降における最初の学年の初から、満一五才に達した日の属する学年の終りまで、これを、中学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の中学部に就学させる義務を負う(三九条一項)、右の義務の履行の督促その他義務に関し必要な事項は政令でこれを定める(三九条三項、二二条二項)とされ、これを受けて、施行令一二条及び一三条において、中学校に在学する児童生徒が病弱者になったときは、都道府県の教育委員会は、施行令一四条に基づき、当該児童生徒について就学すべき養護学校をその保護者に通知することとされ、養護学校に在学する児童生徒が病弱者でなくなったときは、施行令六条の二の手続に従い、養護学校の校長は、速やかに都道府県の教育委員会にその旨を通知し、同教育委員会は、その児童生徒の住所の存する市町村の教育委員会に速やかにその旨を通知し、市町村の教育委員会は、施行令六条によって準用される施行令五条に基づき、当該児童・生徒について就学すべき小学校又は中学校をその保護者に通知することとされている。本件処分も右の施行令の規定に基づきされたものである。

四  そこで、本件処分当時甲が右にいう病弱者でなくなったというるかどうかについて検討する。

1  前記争いのない事実のほか、証拠(甲第八号証、第一〇、第一一号証、第一五号証、第一七号証、第二六ないし第二八号証、乙第一号証、第三号証、第五号証、第九ないし第一二号証、証人島田典子、同石川直子の各証言、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一)  甲(昭和五七年一〇月二〇日生の女子)は、平成七年四月から母親である原告とともに大阪府S市内に居住し、その住所地を学区とするB中学校に通学するようになった。

(二)  甲は、幼少時に自閉的傾向があることを指摘され、心理面の専門家の指導・助言を受けたこともあったが、小学校六年生になるまでは通常の学校生活を送っていた。甲は、B小学校の六年生に在学中であった平成六年五月ころ、運動中に突然倒れて救急車で病院に運ばれ、同年一〇月、自宅で倒れて意識を失い、その際、近畿大学附属病院で精密検査を受けた結果、てんかんと診断され、以後発作を抑える薬剤を毎日二回欠かさず服用するよう主治医から指示された。

(三)  甲は、当初は薬剤を服用したが、自らが薬剤を継続して服用しなければならない状態であることを十分理解することができず、薬剤による副作用も気にし、無理にもう病気ではないと思い込み、服薬を嫌がり、原告に隠れて薬を飲まずに捨てるなどして薬剤を服用しなくなった。甲は、B中学校一年在学中の平成七年夏ころ、右の薬剤を捨てたことを原告から叱責された際、自暴自棄に陥り、一度に大量の薬剤を服用し、近畿大学附属病院に約三週間入院して治療を受けたことがあった。

このようなことから、原告は、主治医の指導もあり、甲に対し、薬剤の服薬を強要しないように努めていた。

(四)  甲は、平成七年一一月二日、同中学校内でてんかんの発作を起こして倒れ、意識を喪失した。甲は、その後他の生徒の受けとめ方を極度に気にして情緒不安定となり、自閉的傾向も強まって、同中学校内で他の生徒から孤立するようになった。そして、甲は、学校を欠席がちとなり、同年一二月七日以降は完全に同中学校への登校を拒否するようになった。甲は、近畿大学附属病院の思春期外来で不登校の専門の医師による診察も受けたが、その後、更に自閉的傾向を強め、そのうち同病院への通院も拒否するようになり、自宅にこもったままで、薬剤の服用もしなくなり、そのため、平成八年二月から三月にかけて軽度のてんかんの発作を頻繁に繰り返すようになった。

(五)  原告は、甲に対し、病気を正面から受け止め、規則正しく服薬することを理解させるため、甲を院内学級のある病院に入院させたいと考え、その旨B中学校に伝えたところ、C病院にA養護学校の院内学級がある旨紹介された。甲は、平成八年四月四日C病院小児科を受診し、同月八日同病院に入院することとなった。そして、被告は、平成八年四月八日ころ、甲が「病弱者」に該当するものと判断し、施行令一二条二項、一一条に基づき、府教委に対し、甲が病弱者である旨の通知をし、府教委は、同月九日付けで、施行令一四条に基づき、転入学通知書と題する書面によって、原告に対し、同月一〇日以降甲が就学すべき学校をA養護学校と指定する通知をした。甲は、同日、A養護学校のC病院院内学級に転入学し、以後同病院で治療を受けるとともに、同院内学級において中学校の教育を受けるようになった。

(六)  C病院における主治医の石川直子医師(以下「石川医師」という。)は、甲の初診時に、近畿大学附属病院の検査所見等も参考にして、甲のてんかんは、器質的な異常によるものではなく、発作も欠神発作(短時間の意識消失)であり、比較的予後の良好な症例と診断し、規則的な服薬だけでコントロールできると判断した。しかし、甲は、中学生程度であれば通常自主的にできる発作を抑えるための服薬を自主的に規則正しく行うことができず、また、極度に自閉的で他者との意思疎通を円滑に図ることが困難な状況にあると判断し、甲のてんかんの治療に当たっては、その心理面への配慮を重視した服薬指導を行うよう心掛けるようになった。

(七)  当時、C病院の院内学級の生徒は、小学部及び中学部の全体で甲一人又は多いときでも数人の状態で、甲も、事実上、担任の教員であった島田典子から個人指導を受けた。しかし、甲は、同月二五日ころからは教室に割り当てられた部屋に自発的に来ることがなくなり、そのため、島田の方が甲の病室を訪れて指導することが多かった。甲は、入院後も当初は服薬を拒否していたが、石川医師の指導の結果、徐々に自発的に薬を飲むようになり、発作もなくなって、てんかん自体の病状は安定し、近畿大学附属病院受診時に見られた脳波異常も消失し、検査所見も良好であった。甲は、同年五月から、A養護学校本校(以下「本校」という。)の校外学習に参加し、更に、本校の授業に週一回程度参加するようになったが、次第に本校の雰囲気や授業に興味を持つようになっていった。しかし、服薬の習慣を身につける前提となる甲の心理面、精神面の状態は、周囲の環境に極めて左右されやすいもので、この状態は入院時から基本的に大きな変化、改善はみられなかった。

(八)  石川医師は、甲に対する診療を通じ、また、自ら本校を見学し、甲に対しては、てんかんの発作自体は心配なく、服薬を続ける必要はあるが、服薬状況は改善しており、通常の生活をすることは可能であることから、このまま入院生活を続けることは望ましくないが、心理面、精神面については何らかの手当が必要であり、このままでは一般の中学校での集団での学校生活に適応していくのは困難で、B中学校に戻っても再び不登校になる可能性が高いと判断した。そこで、石川医師は、退院後に一般校に一般校に戻る準備段階として、小集団での学習や生活を通じて社会性を育て、規則正しい服薬を身につける必要があるという点からも、甲が興味を示している寄宿舎制の病弱養護学校である本校に甲を就学させることが適当であると考え、原告に対し、その旨伝えるとともに、心理・精神面での専門医の診察を受けることを勧めた。

(九)  このようなことから、原告も、退院後甲を本校に就学させたいとの希望を持つようになり、甲自身も、その後も本校の授業に参加し、本校の雰囲気にも次第に馴染み、退院後は本校を希望する意思を固めていた。そこで、原告は、平成八年七月六日、甲本人から本校に行きたいとの意思を確認するとともに、同月一七日、B中学校側に、同中学校に戻る前段階として本校に移りたいとの希望を伝え、同月二二日、被告職員にもその旨の希望を伝えた。

(一〇)  A養護学校長は、平成八年七月二三日、府教委に対し、「入院を必要としなくなるもの(令第6条の2の予定者)について(報告)」と題する書面(但し、日付は同月一七日付け、乙第一〇号証)により、甲が同月一九日にC病院を退院する予定である旨の報告をし、更に、右書面の備考欄に「てんかん及び自閉症により入院しており、現在てんかんについては服薬をきちんとしており、発作はおこっていないが、主治医は精神的なフォローが今後も必要とするため、特別の配慮を必要とするとしています。その為、保護者、本人ともA養護学校本校を希望しております。」と記載してその旨を伝えた。

(一一)  ところが、府教委は、A養護学校の院内学級を事実上C病院内に設置された独立の学校として扱い、一般校に通学していた児童生徒が同病院を退院する場合には、原則的に元の一般校に就学させ、その上で、更に養護学校その他の特殊学校へ就学させるかどうかの就学指導をする、との方針を有していたので、「学校教育法施行令第6条の2の該当者について(通知)」と題する書面(但し、日付は同月一九日付け、乙第一一号証)で、被告に対し、甲が病弱者に該当しなくなったことの通知をした。

(一二)  甲は、平成八年七月二五日、当初の予定日(同月一九日)より遅れてC病院を退院した。

(一三)  被告は、府教委からの右(二)の通知を受けて、同月二六日ころ、甲が病弱者ではなくなったことを理由として、原告に対し、本件処分をした。

(一四)  その後、被告の学校指導課の職員は、原告に対し、本件処分により甲が就学すべき中学校はB中学校となったことを前提に、本校への就学を断念させようと説得に努めた。

(一五)  なお、A養護学校長は、本件処分から一か月以上経過した同年九月一二日、府教委に対し、「C病院での治療を要しなくなった者(令6条の2)の通知について」と題する書面(但し、日付は同年七月一七日付け、乙第一二号証)により、平成八年七月一九日退院により甲が治療を要しなくなった者に該当する旨を通知した。

2  次に、証拠(甲第三ないし第五号証、第一八号証、第二二号証、第三〇、第三一号証、第三三号証)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  病気療養児は、疾病そのものや長期にわたる療養経験、それに伴う親の養育態度、周囲の接し方等から、積極性、自主性、社会性が乏しくなる等の傾向がみられ、また、不安、無気力、あせり、挫折感等心理的に不安定な状態に陥り、これが行動上の問題にも反映されやすい。そのため、病気療養児に対する教育は、経験の拡充と社会性の涵養により健全な成長を促し、生きがいを与え、心理的な安定をもたらし、病気を改善・克服するための知識、技能、態度及び習慣や意欲を培い、病気に対する自己管理能力を育てていくことがその重要な目的である。

そこで、文部省の就学指導資料においては、病気療養児の障害の内容程度の判断及び教育措置の決定に当たっては、医師の精密な診断の結果に基づき、疾患の種類、程度及び医療等を必要とする期間などを考慮し、教育、就学相談を通じて保護者や本人の意見を聞いた上で、医学的観点のみならず、心理学的、教育的観点を含めて総合的かつ慎重に行い、その適正を期すことが特に必要とされ、さらに、適正な就学指導のためには、多面的な評価や情報の蓄積が必要であるとして、障害児の障害の種類程度等の的確な判断を行うために各方面からの専門家により構成される就学指導委員会の設置を求めている。

(二)  てんかんは、種々の成因によってもたらされる慢性の脳疾患であり、大脳ニューロンの過剰な発射から由来する反復性の発作(てんかん発作)を主徴とし、それに変異に富んだ臨床ならびに検査所見表出が伴うものをいう。てんかんは、発作時以外は健康体と変わらないが、長期にわたり服薬を余儀なくされるなど日常生活の中において医療面の管理が必要であり、完全な治癒は困難である。てんかんの治療に当たっては、発作を抑え、副作用を防止することが重要であり、規則的な服薬等日常生活での指示を守り、患者において、自分の病気は自分で直していくという強い意志をもつことが必要である。

さらに、てんかんをもつ児童生徒は、これまで育ってきた環境等により、情緒や行動面で問題を抱えている場合もあるほか、長期にわたる服薬や、いつ発作を起こすか分からない不安などの心理的負荷を抱えていて、これが学童期、思春期という心身の発育時期における心身の発達、すなわち知的能力、環境への適応能力、社会性等の面で悪影響を及ぼす可能性があるので、発作「が消失しても、これらの心理的、精神的、社会的な複合合併障害をできる限り抑えるために、社会的、教育的、心理的な観点を含めて治療に当たる必要がある。

このようなことから、てんかんをもつ児童生徒に対する養護・訓練の指導に当たっては、児童生徒の健康状態、てんかんの病状、心理生活面や生育歴を把握し、児童生徒に対しては、自分のてんかんの状態、服薬の必要性、方法等てんかんの治療等に必要な生活様式を理解させ、病気の状態や環境等に基づく心理的不適応を改善させ、病気を克服する意欲の向上を図ることが目標となる。

3  以上認定した本件処分に至る経緯、甲の状況、病弱児教育の目的及び内容並びにてんかんの病態及びその治療・指導の特性等を総合すると、次のとおり解するのが相当である。

(一)  被告及び府教委は、平成八年四月九日ころ、C病院における診察結果等を基にして、甲が施行令二二条の三所定の病弱者まであると判断して、原告に対し、甲が就学すべき学校をA養護学校と指定する処分をした。しかし、被告及び府教委は、同年七月二三日、A養護学校長から甲が同月一九日に退院予定であるとの報告を受け、右の報告には、甲の主治医がてんかんの発作は起こっていないが精神的なフォローが必要であり、この点特別の配慮を要すること、保護者である原告も甲本人も本校を希望していることが記載されているにもかかわらず(右の報告を甲が病弱者でなくなったとの報告であると解することはできない。また、本件処分以前に同校長が甲が病弱者でなくなったとの報告をしたことを認めるに足りる証拠はない。なお、右報告は、後記判断に照らしても法の要請に適った適切な報告であったといえる。)、甲が同病院を退院する以上、できるだけ元の一般校であるB中学校に復帰させるとの当時の実務的な取扱いに従い、その結果、漫然と、府教委は被告に甲が病弱者に該当しなくなったことの通知をし、被告はそれを受けて本件処分をしたものといわざるを得ない。被告や府教委が、本件処分前に、右の記載による主治医の意見を尊重して、甲が病弱者に該当しなくなったか否かについて慎重に検討したことは証拠上認められない。

(二)  ところで、C病院の院内学級は、あくまでA養護学校の組織の一部であって、法律上は、それ自体が独立の学校ではないから、その本校も右院内学級も同一学校内の組織の一部であるといわざるを得ない。そして、右院内学級に在学していた児童生徒が同病院への入院により治療する必要がなくなったとして退院する場合においても、病弱者でなくなったといえない場合には、当該児童生徒を本校へ就学させるか(それは同養護学校の校長の権限である。)、他の養護学校への転入手続が採られるべきである。

(三)  次に、病弱者の心身の故障の程度を規定した施行令二二条の三の表の「慢性の胸部疾患、心臓疾患、腎臓疾患等の状態が六月以上の医療又は生活規制を必要とする程度のもの」「身体虚弱の状態が六月以上の生活規制を必要とする程度のもの」の解釈においても、前記2で判示した病弱児教育の目的及び内容に照らすと、当該児童生徒の心理面、情緒面も含めて総合的に考慮すべきであり、特に、甲の場合においては、前記2で判示したてんかんの病態及びその治療・指導の特性を念頭に置いて、C病院で甲の主治医であった石川医師の判断、意見が最も尊重されて然るべきである。

(四)  前記1、2で認定した事実関係によれば、甲のてんかんの症状は、C病院を退院するまでには発作もなく病状も安定し、服薬もある程度自発的に行うようになり、他に格別の生活規制も要しない状況になったといえる。しかし、甲は、そもそも、てんかんの発作が原因となって学校に不適応の状態となりB中学校への登校を拒否するようになったものであり、これは甲が本来有していた自閉的傾向がてんかんにより顕著となったものということができる。このように、甲の心理面、精神面の問題がてんかんと密接に関係していると考えられ、このような甲の心理的不適応状態はC病院への入院によっても顕著に改善したとはいえず、むしろ、入院当時の状態と基本的に変わっているとはいい難い。甲は一般の中学校に戻っても学校生活に適応していける状況にはなかったのであり、一般の中学校がこれらの問題を改善し、甲に病気を克服する意欲を養うのに適した環境であったともいい難いといわざるを得ない。また、甲が退院後服薬を規則正しく継続していけるかについても周囲の環境に左右されやすいと考えられ、この点も一般の中学校に戻った場合には不安があり、服薬状況いかんによっては再びてんかんの発作が生じるおそれもなかったとはいえないというべきである。

(五) 以上の諸点を総合考慮すると、本件処分時において、甲は、なお六か月以上、てんかんの治療の一環としての生活様式の確立及びてんかんと密接に関係した心理的不適応の改善のための医療及び生活規制、すなわち少人数の集団における学習及び生活を通じて、自己の病気を理解し、服薬をするなど規則正しい生活様式を身につけ、社会性を育てる必要等があったというべきであり、施行令二二条の三所定の病弱者に該当しなくなったとは認められないというべきである。

五  また、甲第一一号証、第一三号証、第一五号証、第一七号証、第二三号証、第二五、二六号証、証人石川直子の証言及び原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本校にはてんかんの児童生徒や、神経症や心身症(精神的、心理的な要因によって引き起こされ、二次障害として登校拒否や情緒不安定になりやすい。)の児童生徒が在籍し、あるいは過去に在籍していたこと、甲は、C病院退院後再び薬を飲まないことが多くなったが、平成八年一一月一二日当庁の本件処分の効力を停止するとの決定を受けた後、本校に仮入学し、同学校の寄宿舎に入ってから、次第に寄宿舎生活にも慣れ、授業も受け、本校の他の児童生徒とも少しづつ意思疎通を図ることができるようになり、他の児童生徒も服薬しているという環境の中で、服薬も自発的にするようになり、総じて精神的にも安定するようになったことが認められる。しかしながら、前記四の1、2で認定した事実関係に照らすと、現在においても、服薬の習慣を身につける前提となる甲の心理面、精神面の状態が基本的に改善し、甲が病弱者でなくなったといえるかどうか必ずしも明らかでない。

六 以上のとおりであり、甲は、本件処分時において病弱者でなくなったとはいえず、本件処分は、その処分時において要件を欠く違法なものである。そして、以上判示したところによれば、処分後の事情によりその瑕疵が治癒されたといえないことも明らかであるから、取消しを免れない。

七  よって、原告の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官八木良一 裁判官加藤正男 裁判官西川篤志)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例